出会いへの感謝と喜び、なりたい自分を追求するなかで
CANALIZE meets Masako Nakagawa|写真家 中川正子
—師匠もびっくりされたでしょうね。
やる気しかなく技術など一切ない私を雇ってくださって、感謝しかありません。当時の私が、今の私のアシスタントに応募してきたら、あまりの勢いに、何かちょっと面倒くさいけど、やる気があるのはいい事だと思って、「来る?」って言ってしまいそうな気がします。でも、その時私を受け入れてくださったのは、ひとえに師匠の人としての器の大きさです。
私の父は、女性が仕事をすることを早くからポジティブなイメージで私に語ってくれてはいましたが、おそらくもっと別の職業に就くことを想像していたと思います。ですが、私がどんどん想定外のことを言い出すのを一度も止めずに、「やりたいならやれ」と言ってくれました。だれも引き留める人がいなかったのがありがたかった。私はいつも意思をはっきりと伝えてきたので、言ってもしょうがないなと思ったのかもしれません。
—事務所に入ってからはどのようなお仕事を?
アシスタントをしていたのですが、一年半位経った頃には、もう自分で撮れると言いだしていました。名刺もまだ支給されていなかったので、自らプリンタで作り、「カメラマンです。よろしくお願いします」と、外で出会う人に渡していたら、面白がって仕事をくださる方がいらっしゃって。師匠に、「仕事もらったんでやってきていいですか?」、「えーっ!?まだだめでしょ」、「だいじょぶですよ」という感じで、半ば強引にやらせていただきました。
最初の仕事は、心配した師匠が機材も全部まとめてくださったのですが、照明などの経験が圧倒的に足りず、結局ギリギリ納品できるようなクオリティの仕上がりでした。師匠のサポートがなかったらと思うとぞっとします。ですが、その後もやる気だけは満々なので、そこまでのクオリティをもとめない仕事とか、面白さを求める音楽誌などから次々とお仕事をもらえるようになりました。だんだんと指名での仕事が増えていく中で、師匠のサポートをいただきながら仕事を重ね、冷や汗をかいて必死で技術を磨き、やがてハードな毎日を過ごすようになりました。
結婚・出産を経て決意した岡山への移住、生きる姿勢の変化
—岡山への移住はどのようなきっかけですか?
2011年に、夫が岡山の大学の准教授をやるという話を頂きました。はじめは夫のみが岡山と東京とを半分ずつ行き来する生活をしよう、と相談をしていたのです。ところが、その矢先に東日本大震災があり、永住というつもりはなかったのですが、とりあえず私も一時的のつもりで一緒に岡山に行くことにして、家族で住める部屋を借りました。
岡山にいても基本的には呼んでいただくのが東京の方々からの仕事だったので、仕事がある毎に 前日に息子を連れて東京に入って、実家に息子を預け、仕事が終わったら迎えに行って岡山に帰っていました。そうしているうちに、“あ、中川さん東京にいるんだ”となってさらにお仕事をご依頼いただくことになり、徐々に東京にいる時間が長くなっていきました。一番ピーク時は息子が5-6歳の頃で、月に20日は実家の船橋にいて東京の仕事をして、10日は夫と過ごすために頑張って岡山に帰る、というような2拠点生活をしていましたね。
息子は船橋、岡山と2か所の保育園に通っていたのですが、小学校への入学と同時に東京の拠点を引き揚げて、岡山でもう一度家族みんなでフルに暮らすことにしました。2年程前から岡山を拠点に、<やたら出張が多いお母さん>というスタイルでやっています。
Photo中川正子:日々、ふとした感情の揺れで撮る写真の中から
—働き方や考え方など、どのような変化がありましたか?
子供を産む前はどこか完璧主義なところがあって、仕事の進め方も最初に色々計画してそのプラン通りに進めたい という意識が強かったのですが、子供を産んでからは理想の計画通りには進められないことばかりになりました。出かける前に突然熱を出されたり、服を汚されてしまったりと不確定要素が多すぎて、“その場その場で判断する、その時その時の最良の道を取る”という方法を、子供を産んでからどんどん学びました。
働き方だけでなく、生きるうえでの姿勢が大きく変わりましたね。それまでは、とにかくベストが好きだったけれど、ベストが無理ならベターを、その場にあるチョイスの中から一番光っているのを選ぶようになりました。
私たちの仕事は、少し先のオファーを頂いてお受けさせていただく、ということの連続なのですが、あの頃はいつ息子に熱を出されるか分からなかったので、1週間後のことを尋ねられても不安しかありません。でも、そう考えてもしょうがないから、オファーをいただいたら、その仕事をやっている自分の様子や現場の感じを想像してみて、“その現場絶対楽しいな、必ずいいことになるな。” と感じたら何も考えずに受けることに決めていました。受けてから全力でそれが実現できるように二重三重の保険をかけて、母の予定を押さえ、父の予定を押さえ、友達の予定も押さえさせてもらって、もし二人が倒れたとしても大丈夫なように鉄壁に準備して。
“まずはやるかやらないかを決める、それから方法を考えるという”かつての私とは全く逆の選択の仕方をするように自然となりました。
Photo 中川正子:みるみる成長していく息子さんの記録
Photo中川正子:雨のハワイ島 ライフワークで撮り続けたい旅の写真から
横浜生まれ。津田塾在学在学中、カリフォルニアに留学。写真と出合う。自然な表情をとらえたポートレート、光る日々のスライス、美しいランドスケープを得意とする。写真展を定期的に行い、雑誌、広告 、アーティスト写真、書籍など多ジャンルで活動中。2011年3月に岡山に拠点を移す。全国及び海外を旅する日々。2017年に『ダレオド』(BOOK MARUTE/Pilgrim)を上梓。台湾を皮切りに、全国で展覧会とフェアを展開する。2019年にはWONDER FULL LIFE より『Rippling』を発表。写真集はほかに「新世界」(PLANCTON刊)『IMMIGRANTS』(Octavus刊)などがある。2019.7.23-8.6、森岡書店(東京・銀座)にて写真展「Rippling」を開催 トークイベントも。
Instagram @masakonakagawa
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